けんじぇるのてくてくスローライフ

好きな読書をして、幸せに、豊かに暮らしていこう。20代の僕が暮らしを考えなおすブログ。

【連載】お金さんの教養塾#第2講 | 「清貧の思想」に支配された日本人

スポンサーリンク

こんばんは。

 

けんじぇるです。

 

f:id:k-enj-i0122:20170510233541j:image

 

「お金さんの教養塾」第2講になります。

 

前回の第1講でもお話したように、お金の知識について知らなさすぎる僕たちがもっと人生を心豊かに生きていけるように、”お金”を一緒に勉強していこうという企画です!

 

 

毎講、より見やすく・読みやすくできるように工夫してはいますが、何か気になるところがあればコメントください!

 

 

今回紹介する本 

前回に引き続き”投資家が「お金」よりも大切にしていること”を紹介していきます。今回は、第2章”日本をダメにする「清貧の思想」”についてです。

 

例に習い、なん度も読み返して自分が大切だろうと思うところを紹介していきます。気になる人はリンクから実際に読んでみることをオススメします。

 

日本人をダメにする「清貧の思想」

著者はこの「清貧の思想」について長めにページを割いて説明しています。それほど日本人に根付いてしまっている思想だからでしょう。

 

清貧とは

行いが清らかで私欲がなく、そのために貧しく暮らしていること。(広辞苑)

 

著者いわく、清貧という考え方自体は物質的な豊かさを捨て去った理想的な生き方であり、否定はしていません。問題は、本来あるべき意味と今根付いてしまっている思想がかけ離れて違う点です。

 

「理念に 生きるためにあえて豊かな生活を拒否する」という思想が、「豊かになるためには、理念を捨てて汚れなければいけない」という考え方に変わってしまったのです。

それが「豊かになることは汚れることだ」となり、「お金持ちは何か悪いことをしてお金持ちになったに違いない」といった考え方になったのでしょう。

お金持ち=悪であり、悪を倒すどころか、倒される対象となってしまいました。ねじれて解釈され、定着してしまったのです。

 

投資家が「お金」よりも大切にしていること P57

 

僕たちは、間違えて解釈された清貧の思想に惑わされることなく、清らかで豊かな清豊の生き方を目指した方がいいんです。

 

いつしか僕たちの生き方は、「清貧」か「汚豊」のどちらかしか選択肢はないと思い込むようになりました。だからこそ、この状況から抜け出す必要があると著者は言います。

 

社会的善とお金持ちになることが両立しない日本人

この章では、日本人とアメリカ人のヒーロー像から、悪を倒すのが「民間人」と「公務員」の違いがあるという社会的な違いを紹介しました。その上で、お金持ちはアメリカでは社会貢献を当然とする”善”の人々であると著者は言います。

※これは一般的なものであり、一部話題になっているタックスヘイブンに逃れる大金持ちの議論は外しています

 

アメリカでは、「お金持ちは悪いこと・汚いことをしてお金持ちになったに違いない」といった日本人にありがちな汚豊的な考え方はあまりないんですね。あったとしても、日本ほど強烈ではありません。

単純にお金持ちが尊敬される文化があります。

特に起業家として成功した人たちは、ヒーローのような扱いを受けます。有名なマイクロソフトのビル・ゲイツにしても、アップルの亡きスティーブ・ジョブズにしても、フェイスブックのマイク・ザッカーバーグにしても多くの人から尊敬されていますよね。

彼らが尊敬されるのは、社会のため、世の中のために「貢献している」と考えられているからです。

まず大前提として、起業家がビジネスを創出することに対しては、「金儲けをしている」ではなく「価値を提供している」と理解されます。

 

投資家が「お金」よりも大切にしていること P67

 

起業家にかぎらず、アメリカのお金持ちの人たち、社会的地位の高い人たちは、多額の寄附活動や投資活動によって、儲けたお金や余っているお金を社会に還元するのがあたりまえになっています(寄附を行うのはお金持ちだけでないことは、前章で説明したとおりです)。

 

投資家が「お金」よりも大切にしていること P68

 

公なこと、パブリックなことは国や公務員に任せておけばいいという人が大多数だとされています。

 

そもそもそういう視点も文化もなかったから仕方ない、と一言で片付けるのは簡単ですが、そこに疑問を持ち切り替えていく姿勢も大切だと感じます。

 

「アリとキリギリス」のアリにそっくりな日本人

最近ビジネス書でも、いくつか「アリとキリギリス」にたとえて日本人の働き方、生き方を話しているのを見かけるようになりました。

著者も日本人のこの現状に触れながら、「アリとキリギリス」は本来のお話から書き換えられていると正した上で、アリのようだと言います。

 

 アリとキリギリスとは

夏の間、冬の食料を蓄えるためにせっせっと働き続けるアリ。一方でキリギリスはバイオリンを弾き歌って過ごした。冬が来て食べ物を探すも見つからないキリギリス。アリに助けを求めるが、拒否し、最後にキリギリスは餓死してしまう。

 

日本人の、真面目に汗水たらして働くことが尊いという美徳は、反面的に、そういった働き方をしていない人間に対して、牙を剥きます。

要は、遊んでいた人間は餓死してもいい、というわけです。

 

投資家が「お金」よりも大切にしていること P75

 

真面目に働くことのみが正当化され、それ以外は弾かれる考え方はいささか偏りすぎな気もしますね。 

 

おさらい

今回は、日本人に染み付く間違った解釈をしてしまった「清貧の思想」から学び、アメリカの考え方を比較してみてきました。こう見ると、日本人は案外自分勝手なんだなぁと思ったりしますね。

 

もちろん、それを客観的に知ることができるのはいいことです。

 

次回は、第3章”人はただ生きているだけで価値がある”を紹介します。

お楽しみに!

 

ではまた。

 

・・・ ・・・