【広報部長雑記】きぼう新聞 73号 | ここから、これから
こんばんは。
けんじぇるです。
今回はきぼう新聞第73号について書いていきたいと思います。
社説『3周年に寄せて』
この社説では、3周年を記念して、読者の方々はじめ今までお世話になった方々に向けて深謝と、記念コラムを書く経緯が書かれています。
社説内で取り上げられていた細川編集長のお父さんの言葉から、石の上にも三年というのがなんだか素敵な言葉に見えました。
3年経ち、ここからがスタート地点だというきぼう新聞。
まさに「ここから、これから」という僕の好きな言葉のようですが、その場に立ち会えたことに感謝するとともに、僕としてもこれから改めて頑張っていこうと思いました。
いつでも、どんなときでも
きぼう新聞3周年を記念して、今までお世話になった人たちにコラムを書いていただく特別コラムが始まりました!
今回書いていただいたのは、安城自動車学校の経営者である石原慧子さん。
編集長がまだ会計士をしていた頃のお客さんでもあった慧子さんは、その当時のことも知っているからかとても新鮮な内容でした。
特に響いたのはこの文章でした。
応援のカタチは、いつでもどんな時でもあなたの味方ですという存在になること。誰もが敵だと思えるくらいの窮地に立ったとき『たった一人の理解者となる』
これはなかなか勇気のいることです。
でもその人を誰よりも信じて寄り添うというのは、同時に相手にもそうなってもらうことに繋がるので、結果として固い信頼関係が生まれるんだと感じました。
求められることに答えるというのは流れの兆し
特派員の安永 太地くんが取材する、井上さんの「教えない教育第4話」になります。
教えない教育にたどり着き、寺子屋を営むまでには”求められたことに対して、一つ一つ、丁寧に関わっていったこと”が大切だと言います。
自分で決め、それに向けて一歩を踏み出すことは必要です。でもその先に、求めてくれる人がいるなら、そのことに一つ一つ丁寧に、答えていくことが大事なのかもしれません。
それがその先も続く流れの兆しなのかもしれないのですから。
”気”とは相手を想う心の表れなのかもしれない
”気”というとなんだか怪しいような、そんな気持ちをもたれるかもしれません。
でも僕たちが使う言葉の中にもたくさん気と名のつくものがあり、気配り気遣い、大気景気などたくさん触れているはずです。
でもなんだかそう感じてしまうのは、きっと「目に見えないから」でしょう。
目に見えないものはわからないから疑ってしまう。それはある意味当たり前のことかもしれません。でも見えること以上に見えないことで成り立っているのも現実です。
その見えない”気”がお客様と関わるとき、いや人と関わるときにはとても大切だということが、これをみて改めて考えさせられました。
自然と触れ合うこと
里山での生活を綴った高野 葉さんのエッセイ。
今回は特に野の草花を生け花に楽しみと喜びを感じる暮らしについて書かれていました。
気になったのは里山暮らしで一番うれしいことが 、散歩に出かけたときに必ず草花を手にしているということです。
普段から自然に包まれ、その木々や草花との対話の時間が、自分との対話の時間にもなり心がすっと軽くなるのだろうと感じました。僕も時間が空いたときには、近くの土手道を散歩して、ぼーっとしています。
それは普段から何かを考えることに強いられている僕たちにとっては、意識的に余白を作ることのようだと思います。
余白を作るためにも自然とふれあい、自然に包まれることがときには大切だと思いました。
無邪気さと想像力は最高だ
空心さんによる、詩と日々のエッセイ。
今回は暑かった今年の夏を振り返り気づいたことが描かれています。
そこでは外で過ごす時間が増え、自然と目がいき、色々なことに気づいた自分と少年の頃の好奇心だったようです。今は携帯もゲームも発達して、気をぬくと外に出なくなることもあるかもしれません。
でもやはり外に出ることは必要だと。
出たときに感じる色々なことは気づかぬうちに自分を育ててくれるんじゃないかと思います。そのときに大切なのは、好奇心と想像力です。
大人になっても忘れてはいけないことですね。
ではでは今日はこの辺で。
<過去記事>
●【広報部長雑記】きぼう新聞 67号 | 人生には流れがある - けんじぇるのてくてくスローライフ
●【広報部長雑記】きぼう新聞 68号 | 連載はじまりました! - けんじぇるのてくてくスローライフ
●【広報部長雑記】きぼう新聞 69号 | 算数で人生をデザインする - けんじぇるのてくてくスローライフ
●【広報部長雑記】きぼう新聞 70号 | かんたん・わかりやすいに気をつけること - けんじぇるのてくてくスローライフ
●【広報部長雑記】きぼう新聞 71号 | 感覚を大事に。新しい一歩を。 - けんじぇるのてくてくスローライフ
●【広報部長雑記】きぼう新聞 72号 | そっとしまってある言葉をすくい上げて - けんじぇるのてくてくスローライフ
<きぼう新聞を読んでみたいという方はこちらからどうぞ>
もう頑張るな、死ぬな、若者よ
こんばんは。
けんじぇるです。
お久しぶりの投稿ですが、今日は少し神経質なお話になります。先日ある記事を見つけました。”電通の社員であった高橋まつりさんが過労による自殺をしてしまったこと”に関する記事です。
初めてそのことを知ったとき、悲しいという気持ちと許せない気持ち、でもどうしようもない気持ちに包まれていたことを思い出します。
その当時は僕も会社で勤めていて、同世代だったし、僕も色々あったから思うところがありました。今回こうやって改めて考える機会があって、これは今書いてみるべきなんじゃないかと思ったんです。
だから今日はそれについて考えます。
先にはっきり言っておきます。僕がいうことは所詮、外野からみた意見にすぎません。そして、そこで勤めていたからとか、それを知っているから言える、なんてこともないです。
でも同世代、同じ20代前半の若者だからこそ、書けることは確かにあります。それを書きます。それ以外のことはこの後参照する他の記事をみてください。どれも素晴らしいものだと僕は感じたので。
これをみているあなたも一緒に考えてくれたら嬉しいです。
では始めます。
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【広報部長雑記】きぼう新聞 72号 | そっとしまってある言葉をすくい上げて
こんばんは。
けんじぇるです。
今日は、8月25日発行の第72号について、見ていきたいと思います。
社説『新しい「きぼう新聞」』
今回は、来月から丸3年続いてきたきぼう新聞の”題字”が変更になるという大きなお知らせでした。
その題字は、第71号から連載の始まった森脇 友里さんが書いたものになります。これに込めた思いとして、温故知新という「昔のことから新しいものへ繋いでいく」意味があります。
きぼう新聞が”100年後の子供たちにラブレターを”というこの先の未来に繋いでいく新聞である上で、温故知新という意味を込めた題字をいうのは、とても合っているものなんだと思いました。
次号を読むのが一層楽しみになりますね。
参考:【広報部長雑記】きぼう新聞 71号 | 感覚を大事に。新しい一歩を。 - けんじぇるのてくてくスローライフ
参考:大切なのは”今だけ”じゃない - けんじぇるのてくてくスローライフ
種まきをする場があってもいいんじゃないかと
読者から寄せられたラブレター欄。
ここに書かれているように、きぼう新聞を負担に感じ購読をやめられてしまう方もいるんだなということを知りました。
それは、読むひとにも念いがあって、それと目の前に届くものがあまりにもかけ離れてしまっていたり、眩しかったりするときに、負担に感じてしまうんじゃないのかなと感じました。
一つ、そこで思ったのは、今回のようにこんな念いがあって、こういう社会にしていきたいとか、こんな景色を見たいとか、それが大小様々な念いとして、誰しもが持っているのだから、それを集める場のようなものがあってもいいんじゃないかと思ったんです。
きぼう新聞が5年後、10年後続いていくときに、もしかしたらそんな場がまた増えているかもしれません。
参考:経験のない若い世代こそ発信をするべき - けんじぇるのてくてくスローライフ
参考:”これから考えていくべきこと”を発信することが大切な理由 - けんじぇるのてくてくスローライフ
最後に必要なものを教えている教育
井上 淳之典さんの”教えない教育”連載第3話目になります。
今回は教えない教育とはどんなものなのかというのを取り上げていました。
通常の日本教育を受けてきた僕たちからすると、教えないで教えるという、なんだか矛盾したものに感じます。
でも、ここでは「道具」と「場所」と「機会」を与えることで、”自分で考える姿勢”を教えているように思います。
この教えない教育の中では、教える教育にはない部分を間接的に教えているとも言えます。
学校がある時は、与えられたものを淡々とこなしていてもなんとかなっていたのかもしれません。しかし、学校を出てからの方が圧倒的に人生では長いのに、そこから先は誰かが与えてくれるわけでもなく、自分で学び、自分で取り組んでいくことが必要です。
その姿勢が、教える教育には抜けています。それを教えているのが、”教えない教育”なんじゃないのか。とすると、長い人生をいきていく上では、必要な教育なんだと感じました。
叫びたがっている言葉を拾いあげること
僕が毎月書かせてもらっている『くらしと、本と』第3回になります。
今回は『ボクたちはみんな大人になれなかった』という本を取り上げました。
この本が発売された6月30日にTwitter上ではとても盛り上がっていました。 そして次の日には、売り切れている本屋さんが続出。無名の作家がここまで大きな反響を生んだのには、まわりの人の応援があります。
でもそれ以上に、この作品には自分の言葉を、物語を語りたくなるような”何か”がありました。
先ほどの読者からのラブレターにも繋がるところがありますが、誰しも表に出してはいない言葉があって、それがときには人の心を大きく揺さぶる物語となるんだと思うと、発信することはとても意義のあることだと思うんです。
きっと誰かが見ていてくれると思います。
短さと、深さ
今回の小説では、父からの言葉が短いながらも深く長い喜びがあるという部分が印象的でした。
「短く書く」ということは、より一つ一つの言葉に深みを持たせる必要があります。それを特に日本人はことわざや、短歌や、俳句など、色々な方法で表現する豊かな人々であるといえます。
たった一言で響く言葉もありますが、そこには一言でありながら、深淵のような深さがあるのかもしれません。
数え方一つで幅が広がる豊かさ
徳永 浩さんの日本の感性を見直すエッセイ。
物の数え方一つで、表現の幅が大きく変わることを今回は伝えてくださっています。
単位一つ見てもいろんなものがあって、どんなことを伝えたいのか、伝わるのか、それを考え、知るなかで奥深さを垣間見ることができる。
こう見ると日本人ほど、言葉に重きを置くひとはないんじゃないでしょうか。
その奥深さを知ればしるほど、なんだかちょっと嬉しくなる自分がいます。
あぁ、日本人でよかったな、と。
では今日はこの辺で。
<過去記事>
●【広報部長雑記】きぼう新聞 67号 | 人生には流れがある - けんじぇるのてくてくスローライフ
●【広報部長雑記】きぼう新聞 68号 | 連載はじまりました! - けんじぇるのてくてくスローライフ
●【広報部長雑記】きぼう新聞 69号 | 算数で人生をデザインする - けんじぇるのてくてくスローライフ
●【広報部長雑記】きぼう新聞 70号 | かんたん・わかりやすいに気をつけること - けんじぇるのてくてくスローライフ
●【広報部長雑記】きぼう新聞 71号 | 感覚を大事に。新しい一歩を。 - けんじぇるのてくてくスローライフ
<きぼう新聞を読んでみたいという方はこちらからどうぞ>
大切なのは”今だけ”じゃない
こんばんは。
けんじぇるです。
今に集中することが大切だ!という考えは最近よくみるような気がします。
それはホリエモンが近畿大学の卒業生に向けた言葉にも表れています。
「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」
参考:堀江貴文(ホリエモン)伝説のスピーチ ー近畿大学卒業式ー - YouTube
これはある意味ではその通りだと思います。
未来に不安を抱き、過去に縛られる人からすれば、それは確かに今に集中したほうがいいだろうとなるからです。
今を精いっぱいに生きることは必要です。
でも”今だけ”をみるのもそれはなんだか危ないんじゃないかと思って書き始めました。
過去をみるって大切なことなんだ
最近思うんです。
過去とは何かに縛られるものでははくて、振り返り、吟味して、次の一歩を踏み出すための大切な宝物なんだと。
特に本を読んでいても納得のいくものには、過去をちゃんと吟味して、そのうえで未来に希望を持ち、どう歩むのか、今を生きるのかを考えています。
※下にオススメの本を3作載せておきます、ぜひ一度読んでみてください。
これをみて思うのは、過去→未来→現在 という流れが必要なんじゃないのかと。
過去を知らなければ、同じことを繰り返します。だって過去をちゃんと振り返っていれば、戦争や、目先の利益にとらわれた行動、それによる公害もおきないはずです。
今を精一杯生きるということは、今をただ楽しければいいと生きることじゃないはずです。これからのことを考えず、今までのことを全部棒にふって生きていけばいいということじゃないはずです。
過去も現在も未来も全部、繋がっているんです。
どれも大切なんです。
今に偏った言い方をするのは、今に集中していないひとへ、分かりやすくシンプルに、今の重要性を伝えるためです。
最後に
何度も言いますが、今に集中することはとても大切です。
でもそれだけを見てしまわないように、気をつけたいということです。
それは過去を吟味すること。
未来に希望をもつことだったり 。
大切にしたいことです。
では今日はこの辺で。
<今の格差を考えるために。【21世紀の資本 トマ・ピケティ著】>
<これからの幸福を求めるために。【隷属なき道 ルトガー・ブレグマン著】>
<人類の歩みを知るために。【サピエンス全史 ユヴァル・ノア・ハラリ著】>
【広報部長雑記】きぼう新聞 71号 | 感覚を大事に。新しい一歩を。
こんばんは。
けんじぇるです。
今回は、8月10日に発行された第71号について書いていきたいと思います。
社説『夢の針をふたたび』
今回は新しい一歩をお知らせするものでした。
今まで、”きぼう新聞とは何か”と聞かれたときに、説明しきれないところがあったかもしれませんが、この度きぼう新聞のホームページができ説明しやすくなりました。
記事にもあるように、まだ調べても出てこないものですから、これからこの雑記ではURLを載せておきます。
ホームページでは、そもそもきぼう新聞とはという説明の他にも一つ特徴があります。それは編集長が毎日更新するコラムです。
「たまゆらコラム」と呼ばれるそれは、編集長の細川さんが大好きな野球のお話から、小さなそして当たり前のようで当たり前でない日々の綴りがそこには書かれています。
このコラムは毎日更新され、その時だけのものです。次の日には消えてしまう。
その一風変わった動きのあるところには、コピーライターで一世を風靡し、今はほぼ日手帳で大人気の糸井重里氏が営む”日刊イトイ新聞”、暮らしの手帖の元編集長であり、クックパッドに移籍後暮らしの新しいメディア「くらしのきほん」のエッセンスが詰まっているように感じます。
ここで共通することは、紙にこだわり続けてきた人でも、いやだからこそ、それを生かした体温のあるウェブメディアを作り出すことでした。
また新しい一歩が、進みだしそうです。
参考:ほぼ日刊イトイ新聞
大切なのは、目に見えない部分なんじゃないのか
今回から書道家の森脇 友里さんの連載が始まりました!
冒頭にこんなことが書かれている。
現代はAIの時代だ。
わたしは表現者としてAIに負けないように
常に脳みそをに空き部屋を創る。
そして覚醒させる。
無から有を。
常に点をたくさん用意し線にして象る。
人の心を動かすことがわたしの役目。
不安、心配、戸惑いはない。
あるのは自信だけ。だけど、阿呆。
細川編集長は抑えたつもりだと言っていたけれど、とても大きな力強さを感じた。きっと本物はもっと深く、強さを放っている方なのだろう。
僕はこの記事を読んで、”本物を感じるには目に見えないものを感じ取ることだ”というところに目を惹かれました。
それは”目に見えないものにも目を向けよ”ということかもしれない。
なんでしょうか。これは最近とても感じるところではあるんですが、目に見えるものばかりをみんな信じているような気がするんです。それはデータであったり、論拠だと言ったり。
なんとなくであったり、感覚は二の次にされるような、そんな空気があるんじゃないでしょうか。
でもそればっかりは、なんだか息苦しくはないのかと思うのです。僕たち子供の頃はなんとなくを思いっきり生きてきました。とにかく楽しむ!笑って!走って!感じて!そんな風でした。
それがいつからか、理由ばかりを求められるようになりました。
大事だと思います、データを出したり論拠をちゃんと並べることも。でもそれはなんとなくや感覚をないがしろにしていい理由にはならないはずです。
僕たちにとって多くのことは実は目に見えないものばかりです。だから、それを感じとらないこと、弾いてしまうことを畏れるべきなのです。
そういう意味で見えないものも感じることを考え直す時が来ているんではなかろうかと思うわけです。
その無邪気さはそのままでいいんだよ
都田建設の蓬台社長による連載第2回になります。
”無邪気になるということ”について会社の取り組みやその根っこの考え方につてい書かれていますが、この無邪気さはとても考えようのあるものだと思っています。
無邪気さは子供の頃には当たり前のようにあるものです。それは、おもしろい絵を描いたり、おもしろい踊りをしたり。
それが大人になるとどんどんできなくなっていく。なぜなんだろう。
それは頭のなかの余白があるのか、ないのかということなんじゃないでしょうか。
大人になるとたくさんの「〜しなきゃいけない」というものがあって、それが頭のなかをどんどん押し入って、ぎゅうぎゅうになって、余白がなくなっていきます。
そうなったらその余白から生まれるアイデアや、大切な感覚まで潰してしまいます。
これはなんだか書いてみると、この前に書いた森脇さんの話とも繋がってくるような気がしますね。
感覚を大事に。違和感を大事に。
これを読んで感じるのは、自分の感覚を大切にするということの大切さです。
なにかおかしいんじゃないか、違うんじゃないかという違和感。それはなんとも曖昧なもので、信じづらいのかもしれないですけど、調べ直したら案外その感覚通りだったり、みんな進んでいた方向にも、実はそれ以外の道はちゃんとあったり。
感覚はバカにできないということがとてもよく感じられます。
たった3つの言葉を大切にする
今回の小説で目に留まったのは、この言葉でした。
「あせらず、あわてず、あきらめず」
このたった3つの言葉がなんとも大切なんだろうと。そして自分にはないのかと思ったときに、そういえばよく「許しあう、認めあう、生かしあう」ということを考えていたなと。
僕は根っこに優しくありたいと思っていて、そこからこうありたいというものを書き出していたときに見つけた言葉。
まだ曖昧だけど、大切にしたいものです。
参考:眠れなくなったあなたへ 13 - けんじぇるのてくてくスローライフ
あまり教えたくない自分の行きつけの場所。
行きつけの場所と言われて自分ならどこを思い浮かべるのか、そう思うとあまりない。
でも一箇所だけ、とても大切にしている一つの喫茶店がある。
誰もわからないような、住宅街の一角にあるこのお店。お店に入ると目の前には大きな窓があって、そこには田園風景が一面に広がっている。それはまるで一枚の絵を見ているようで、いつも違う表情をしている。
どれだけでもそこにいたいし、自分が一人で向き合える場所でもある。
そんな自分に必要な場所が僕にもありました。
そのお気に入りの席からの写真を載せて今日は終わりにします。
<過去記事>
●【広報部長雑記】きぼう新聞 67号 | 人生には流れがある - けんじぇるのてくてくスローライフ
●【広報部長雑記】きぼう新聞 68号 | 連載はじまりました! - けんじぇるのてくてくスローライフ
●【広報部長雑記】きぼう新聞 69号 | 算数で人生をデザインする - けんじぇるのてくてくスローライフ
●【広報部長雑記】きぼう新聞 70号 | かんたん・わかりやすいに気をつけること - けんじぇるのてくてくスローライフ
<きぼう新聞を読んでみたいという方はこちらからどうぞ>
【書評】言葉を届けること。 | 言葉の贈り物(若松 英輔著)
こんばんは。
けんじぇるです。
言葉というのは不思議なもので、使いようでいくらでも変わっていくものです。
最近改めて言葉って大切だなと思ったのです。いつも感じているんだけれど、余計にといいますか 。
ある何かに悩む友達がいました。いつも笑顔ではあるんだけど、どこか無理をしているというか、何かきっといっぱいいっぱいなんだろうな、と感じていて。
あるときふと話しができるときがあったので、ひとつの言葉・文章を贈りました。それがそのとき適切だったのか、僕にはわからなかったけど”なんとなくこれだ”という曖昧なものを信じて贈りました。
そうすると渡したその人は少しの間を置いて、涙を流しはじめました。
きっと求めていたコトバだったんだと思います。
何かよくなればいいなと思って贈ったものがそうやって届いて、言葉を届けるということは大切なんだと思いました。そう思ったときに、ちょうどこの本ならそれをより深められると思ったので、開いてみました。
そこには大切で、必要なことが書いてあります。
言葉は刃物である
まず言葉というものを考えるときに、忘れてはいけないことがあります。
それは、”言葉は刃物である”ということです。
言葉はちゃんと使えば人を助けるものになります。だからこそ僕は今言葉を紡いでいるのだし、とてもいいものだと思うんです。
でも使い方を間違えれば相手を傷つけ、ときには直接的ではとしても命を奪ってしまうものにもなります。
だからこそ、言葉の使い方には気をつけないといけないんです。
言葉を届けるときに大切にしていること
僕が文章を書かせてもらうようになって、書くときに、届けるときに大切にしようと思うことがいくつかありました。
そのなかの一つは、この若松 英輔さんの著書から学んだところが大きいです。
いつも思い出したいときに開いては、あぁ…そうだったなと思い返します。そんなこの本から少し抜きだしてみたいと思います。
愛する者には言葉を贈れ
その人を守護する
言葉の護符を贈れ
朽ちることなきものを
捧げたいと願うなら
言葉を贈れ
願いを込めた言葉ではなく
無私なる祈りにつらぬかれた
言葉を贈れ
その生涯を祝福する
言葉の護符を贈れ
苦しい出来事があって、立ち上がることが困難なときでも、私たちは一つの言葉と出会うだけで、もう一度生きてみようと感じられることがある。別な言い方をすれば言葉は、人生の危機において多くの時間と労力を費やして探すのに、十分な価値と意味のあるものだともいえる。
言葉は、心の飢えを満たし、痛み続ける傷を癒す水となる。言葉は消え入りそうな魂に命を与える尽きることなき炎にすらなる。
若松 英輔『言葉の贈り物』 P9-11
最後に
この若松さんの著作を紹介するのは2作品目だけど 、この人の本は全部読もうと思える人はこのひとの他に数人しかいない。
いつも読むたびに気づかされる。
大切なことはなんなのかと。
でもそれは読みながら、”自分のなかの言葉”と向き合っているのかもしれないと思います。
そうやって出会った言葉を届けること。その繋がりが相手と一つになったときに心が動くんじゃないかと、ふと感じました。
とてもいい本です。
では今日はこの辺で。
今回紹介した本
【広報部長雑記】きぼう新聞 70号 | かんたん・わかりやすいに気をつけること
こんばんは。
けんじぇるです。
少し時間が空いてしまいましたが、第70号について書いていきたいと思います。
社説 『そこにある”何か”を考える』
ここでは、鎌倉で出会った「食堂COBAKAWA」からの話と、給食から子供たちを幸せにする佐々木十美さんの連載をきっかけに、きぼう新聞での理想の職場を描いていました。
そんな風景を思い浮かべたときに、とても心地いいんだろうなと素直に感じました。広報部長なんていって、お手伝いをさせてもらっていますが、まだまだ力不足です。
でもその風景が実現できたときに、僕もそこで価値を発揮できていたら、きっと幸せなんだろうなと。
だからこそ、これからも頑張っていこうと思います。
また、『そこにある”何か”を考える』ということを考えると、起きたことから意味を見出すことができるのは、人間唯一の力なんだよなと。
今していることや、考えていることにも意味があって、それはきっと繋がっているんだと思うと、無駄なことなんて何もないんだなと改めて考えさせられました。
参考:点と点は繋がってるんだから、無駄なことなんてひとつもないよ - けんじぇるのてくてくスローライフ
意志をもって、それを突き通すこと
今号から、静岡県浜松市にある(株)都田建設の蓬台社長の連載が始まりました!
都田建設では、DLoFre's(ドロフィーズ)というカフェやインテリアショップの立ち並ぶ場所も営んでいて、何度かいったことがあるので、あそこで体感した社員さんのキラキラした笑顔と対応に、こういう心の根っこがあったんだなと、とても嬉しくなる連載です。
ここで紹介されている”魂に薫習する”という言葉は、今まで見たことも聞いたこともない言葉ですが、綺麗ごとだと思われることも、突き通す。その信念や気持ちの部分というのは、とても大切で、僕としても大切にして生きたいものでした。
参考:眠れなくなったあなたへ 13 - けんじぇるのてくてくスローライフ
参考:経験のない若い世代こそ発信をするべき - けんじぇるのてくてくスローライフ
軌道修正しながら、人生を生きていくということ
今回は、連載第2話。教えない教育を実践する井上さんの、そこに行き着くまでの生き方を取り上げていました。
今は教育の道にいる井上さんも、ずっと教育をしていたわけではなくITの業界にいたりとか色々と軌道修正しながらも、自分でそのたびに考え、行動し、”自分の人生を生きている”ということが、これを読んでいてとても印象的でした。
いい高校にいって、いい大学にいって、いい会社に入る。そんな人生のテンプレートみたいなものは空気としてあるようで、作られたもので。
そんな流れに乗ることは自分として、”考えることを止めてしまうんじゃないか”と思っています。
正しい道なんてものはないのだから、考えて考えて、行動して行動して、道を進んでいくこと。その必要をとても感じました。
こめた念いに、気づいてくれる嬉しさ
僕が月1回連載させてもらっている『くらしと、本と』の第2回になります。
せっかくの機会をいただけたので、いつも記事を書くときには、とても、とても感じて考えた言葉を、精いっぱい、言葉に落としています。
だからこそ、この連載のおかげでいただけた感想だったり、言葉は本当に嬉しくて。いつも感謝ばかりです。
今回は、タイトルの『本に道引かれて(みちびかれて)』にこめていました。
普通に書けば”導かれて”でいいと思います。でもこの言葉を新聞の、紙で見たときにどう感じるのかを考えました。いや、なんも感じないよとなるかもしれないんですけど。笑
何か違和感を感じた僕は、とっさに導かれてを道引かれてに変えてみたんです。それが自分のなかでとても腑に落ちました。でも適当なことは言っちゃいけないと思ったので調べてみると、そういい意味があったのでこれに決めていました。
記事が読者の方に届いた後、このタイトルをみてとても時間をかけて読み解いてくれる読者の方がいると教えてもらいました。
自分がこめた念いが、そんな風に誰かに考えてもらえているというのがとても嬉しいことでした。そんな声を聞けて、僕もより一層頑張ろうと思えたのです。
これからもどこかに小さな念いをこめていけたらと思います。
たったひとりの念いが空気を変えることもある
今回のお話では、甲子園をかけた決勝戦でチームが追いこまれたとき、たったひとりの選手の行動が空気を変え、流れを変え、チームを勝利に導いたものでした。
これはなんというか、他のことにも当てはまるんじゃないかと。
特に僕たち日本人は、まだまだみんなそれぞれの個性・多様性よりも、みんな一緒という横並びを大事にしています。それはみんなのことに気が回って、優しくあれる人が多いということもあるのでしょう。
でもそんななかでも、空気を変えるときはやはりあると思っていて。
そのためには、たったひとりの行動がとても大切になると思います。
微力は無力じゃないんだから。
参考:あなたが望むものがあったら、小さな一歩を踏み出して - けんじぇるのてくてくスローライフ
かんたん・わかりやすいに気をつけること
月一回連載される、徳永先生のコラムです。
今回は”分かりやすさで失うもの”という少し強めの意志の記事でした。
でもそれはおもむろに分かりやすさを否定するものではないと、読んで分かりました。
最近は”わかりやすいもの、かんたんなもの”がいいとされているようです。それはテレビでもそう、本でもそうです。
すぐわかる!とかこれだけあれば安心!とかなんでも簡略化です。それは一方でより便利に、豊かにするところもあるんでしょう。でもあくまで”幅”の話だと思うんです。
分かりやすさは、それをかんたんに理解したいときに使うもので、分かりにくいものも確かに知っておく必要があります。
かんたんなものばかりに触れていたら、かんたんなものしかわからなくなってしまいます。それは複雑なこの世の中、人の気持ちを知るうえでは少し危険だと、僕は思います。
難しい・分かりにくいものをかんたんに・分かりやすくすることはとても重要だと思いますが、最初から分かりやすいものだけに触れていることはまた少し違うと。
そういう意味で、少し分かりやすいものから離れてみるというのは、いいことなんだろうなと感じました。
ということで、今号はこの辺で。
<過去記事>
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●【広報部長雑記】きぼう新聞 69号 | 算数で人生をデザインする - けんじぇるのてくてくスローライフ
<きぼう新聞を読んでみたいという方はこちらからどうぞ>
「だったらこうしてみたら?」と言える場をつくるということ
おはようございます。
けんじぇるです。
少しお休みしていましたが、自然にふれることや仲間と話すことでたくさん吸収をしてきました。
また徐々におすそわけしていきます。
先日同年代のメンバーで集まって、月一回のミーティングをしました。
そこで感じたのは、相手の意見を否定するんじゃなく、受けとめながら自分の意見を伝える大切さでした。
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