みんな協調性を同調性だと勘違いしている
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おはようございます。
けんじぇるです。
ほんとうに、履き違えてるものは多いです。だからこそ、それをもう一度考えなおすことが必要だと思います。
前回は、素直と従順さについて。
今回は、協調性と同調性について書いていこうと思います。
みんながいう協調性は協調性じゃない
なにが、みんなでいうところの”協調性”なんでしょうか。この人は協調性がある、この人は協調性がない。なにをもって判断しているんでしょう?
もしかすると、みんなと違うことをしていたらその人は協調性がないと思っていませんか?
みんなと同じことをすることが”協調性”だと思ってはいませんか?またはそういう態度していないでしょうか?
それは”協調性”ではなく”同調性”です。
じゃあ協調性って何だ?
ではいったい、協調性とはなんでしょう?
辞書を引っ張ってみると、
協調性(きょうちょうせい)とは異なった環境や立場に存する複数の者が互いに助け合ったり譲り合ったりしながら同じ目標に向かって任務を遂行する素質。
言われてみれば、と思うかもしれません。
協調性とは相手を生かし合い、高め合うものだということです。
『生かしあう』という考え方が本来あるべき考えなんです。みんなと同じことをするのでは決してありません。
僕が広めたい『生かしあう』ということ
さて、生かしあう。これは僕が好きなことであり、尊敬する松浦弥太郎さんからこの言葉の大切さを学びました。
ちょっと長いですが、ひいてみます。
生かしあう、とは、言葉の通り、相手を生かすことです。たとえば、ひとりきりで生きていたとしても、自然の何か、草花や動物との関わりは、少なからずあるでしょう。もしくは水や空気もそうでしょう。そういった、自分以外の人やものやことを生かすことは、人間が生きていく上での基本のルールと思うのです。
しかし、自分だけが良ければいい。他人や他のものやことは、どうなったって関係ない。隙さえあれば征服してやろう。こんな風に思う人は今や多いのではなかろうか。歩きながら煙草を吸って、吸い殻を道路の排水溝にポイと捨てる。道につばを吐く。満員電車で人の背中を押して出る。チッと舌を打つ。利益のために他人を平気で騙したり傷つける。多かれ少なかれ、今の社会はおかしな争いごとが平気で行われています。そこで心に掛けたいのが、生かしあう、という考えです。
僕はこのシンプルでとても大切な『生かしあう』という考えを、もっと多くの人に知ってほしいのです。
みんなと同じことをして、怒られないように、考えないように過ごすことは、もしかすると楽で、カンタンなことかもしれないです。
でも、みんな違うのが”人”というものです。お互いの違いを受け入れ、生かしあう。それがみんなが幸せになる一歩だと思うから。今日から、今この瞬間から、目の前の人を、どう生かせるか。少し考えてみてください。
※松浦弥太郎著書、『おいしいおにぎりが作れるならば。』から引用させていただきました。もしよければ、みなさんも読んでみてください。