みんな答えを求めすぎている
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こんばんは。
けんじぇるです。
「これはこうです!」
「これをしておけば安心!」
なんだか答えを求めすぎていると思うんですよ。それについて、少し書きます。
曖昧なものばかり
すごく同意した。
— 大岩 憲治@ライター (@kebenjibi) 2017年7月6日
曖昧なものばかりだから、これはこれです!ってはっきりいうことにすごく抵抗を感じているのだけど、かと言っていいきらないと伝わらないとも思ってる。
それがとてもむずかしい、ほんとに。:ほぼ日刊イトイ新聞 https://t.co/MeHVIMKbwX #ほぼ日
ひとつの記事をきっかけに考えだしました。
※あとで気づいたのですが、この「イトイ新聞」は日替わりの”今日のダーリン”というで前のものは見れない形式なので現在は別の記事がでます。
内容は見れないと思うので、ざっくりいうとはっきりと言い過ぎるのはいかがなものかと。
そんな言い切れるもんではないでしょう、でも語尾はしっかりと、はっきりとさせるよ、なんてことを書いていたエッセイのようなものだと思います。(間違っていたらごめんなさい)
高校生までは、これはこうだっていう決まった答えばかりをおぼえていて、答えはこれだと決まっているものだと思っています。
そう教えられてきたことだから、それはしょうがないことかもしれません。
でも答えは本来決まっていないものが大半で、自分でそれを決めていくことを求められます。
※大学生以降は特にね
それが苦手な僕たちはそういう答えを見ては自分の答えとしてしまう。
これはこうだろう、こうにちがいないというもっともらしい答えをきいて安心する。
だから自分の答えを考えない、決めないひとが多くなります。
でも結局自分で決めないと、考えないと進めません。
他の意見をみるななんてことは言いません。見て、受けとめて、一歩立ち止まって、考えることは必要なんじゃないか、と。
他人の答えを”自分の答え”にするために自分で考えることは必要だと思います。
最後に
色々と言ってしましましたが、何を言いたいのか。
僕たちはしょうがないところもあると思うけど、自分で考えない・自分で決めたがらないものです。
だから手軽に答えを提供してくれるものに寄りかかってしまうんだけども。
答えはいつも自分のなかにあるから、自分でたまには考えてみたいよね。
だよね。
というお話でした。