”何かが足りない”という声は素直に受け入れていい。
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こんばんは。
けんじぇるです。
今日は「幸せだけれど物足りない」現象について考えてみました。みなさんも同じような経験をされたことはあるのではないでしょうか。
同じ年の友達にもそういう人がいて、何が明確な原因なのかわからないけれど毎日に物足りないと思っていて、そういう人は多いんじゃないかなと今回書き始めました。
毎日が幸せな人生は存在しない
まず毎日が幸せだという人生は存在しないというのは、厳しいことのようだけれど真実です。
今日は大変だったな、辛かったなという日の中にあぁ今日は幸せだったなと思う日があります。 もしかしたらそういう日は少ないかもしれないけれど、そういう日があるからこそ、幸せだった日が”幸せ”だと感じることができるんですね。
もちろんは幸せな日は多い方がいい、だからこそそういう日を増やそうと努力することは大切だし、大変で辛い時を幸せになるためのバネだと考えることが必要だと思います。
何かが足りないという空腹感
何かが足りないと感じる時は誰しもあって、かくいう僕もよく感じています。特にきついことがあったわけでもなく、側からみたらむしろ充実しているだろうというときも、時には満たされないと感じる時はあるものです。
このモヤモヤはなんだろうと考えました。
これは 自分たちはまだまだ未熟で、でもまだまだ先に進めるってことなんじゃないかと。
自分が幸せだと感じているし、そうときも多いです。でもそれだけで満たされてしまうと、多分その先に行かないと思います。だからこそ、幸せだけに目を向けず、「何かが足りない」というこの感覚を大事に持って生きていくことは大切なんです。
足るを知るという考え方もある
日本には”足るを知る”という考え方があります。これは現状の幸せに気づく考え方のもので、大切にすべきものです。僕はこの考え方が好きです。
でも”足るを知る”だけでは現状から進歩することもできません。
「足りなさ」を感じながらも、それを素直に受け入れて一歩ずつ人生を進めていく、もっと良い文章を書きたい人に寄り添える文章にしたい、影響力を持ちたい、自分はこんなもんじゃない、まだまだいける…
そう生きながらも時には立ち止まって現状を振り返り、足るを知るということ、その両方が大切なんだと思います。
進歩する上で、不満を持つことはどうしてもあります。きっと僕も、あなたもこれからいやでもそう感じながら生きていくことでしょう。それでもその不満を、「足りない」と感じることに素直になって、一歩を踏み出してみてはどうでしょうか。それは必ずしもマイナスなものではなく、プラスの力になります。
いいんです、それで。
ではまた。